ニュースで、北海道の高校生がバイトをする際に学校から許可を得なければならないとする校則は、憲法27条に違反しているとして道苦情審査委員に申し立てを行ったようです。
結果、却下となったようですが、この高校生が校則に疑問を持ち憲法を読み込んだところは、すごいことだと思います。中学校では、今はどうかは分かりませんが、おそらく各憲法の条文を詳しく授業ではやっていないと思います。日本国憲法の三大原則(国民主権、基本的人権の尊重、平和主義)は確かテストにも出たことがあったかと思いますので、その程度ではないでしょうか?
ただここで私が申し上げたいのは、習ったか習っていないか?ではなく自ら学ぼうと思い学んだかどうかということです。
少し前に友人とお酒を飲みながら、学校の歴史の授業で近代史をほとんど教えていないのはいかがなものか?と言われました。確かに、江戸末期ごろから急に歴史の授業のスピードが上がり、内容が浅くなっているようには感じました。3年生の最後の方ですから時間的に無くなってきているからか、その頃はもう高校入試の内申点もあまり関係なく、あまり力が入らないのか、なぜかは分かりません。
ただ根本的に大学は別として、小・中で学ぶことは、いわゆる読み書きそろばん、人が生きていくうえで困らないように最低限の計算や読みや書きを教えて学ぶことが一番大切ではないでしょうか。それを先生が深くちゃんと教えることは絶対必要です。出来ないままだと困ってしまいますからね。
しかし、そのほかの教科についてはどうでしょうか?もちろん、しっかり学ぶべきですが、すべての分野をまんべんなく深く教えることは必要でしょうか?
こんなことを言うを先生から怒られそうですが、目次を教える感覚で良いのではないかと思います。目次を教える?意味が分かりませんよね?
簡単に言うと各教科の紹介でしょうか。社会の中の地理ってこんな感じですよ、歴史の勉強はこんなんでよ、理科の生物の勉強ってこんな感じですよっていう紹介のような感じです。何より時間的にこれが限界ではないでしょうか。
いわば興味を持つチャンスを与えるということです。その中から、将来進学するにつれ各自興味を持ったものに自ら教科書などの本や専門書を読んだりなどして深く学び、そして分からないところは先生がいるわけですから、どんどん質問をし深く学んでいく。そういうことの中から、自分の人生の進むべき道が決まっていくのだと思います。
話を戻しますが友人が「近代史を深く教えないのはいかがなものか?」そう思えるということは小・中の社会の先生に内容は浅くても教えてもらえたらからではないでしょうか。ある意味、先生の役割は果たせたということではないでしょうか。そう思えるようになったのですから・・・
もし社会の先生がこれをお読みになっていたなら、「よくぞそう思えるようになってくれた。先生の役目はここまでだ。あとは自ら頑張って勉強しろよ。」と心の中で喜んでいるかどうかは分かりませんが思うわれるかも分かりませんね。
もし歴史を全く教えてもらえなかったならば、近代史が・・・とかいうレベルではなく、そもそもなぜ近代史は深く教えないのかという疑問にぶち当たることすらないと思いますから。
表題の件にもどりますが、以上のことより、今回の件は却下にはなりましたが、自ら疑問を感じ、憲法に興味を持ち自ら学び行動を起こしたということに対し、私は単純に素晴らしいことであり、その生徒の将来が大変楽しみでもあります。